大和街道
この道は関宿で東海道と分かれ、奈良へと続きます。江戸時代には参勤交代の大名たちが通り、古くは大海人皇子が壬申の乱で兵をあげたとき、さらには源義経が木曽義仲を討ったとき駆け抜けた戦の道でもありました。伊賀藩主藤堂高虎は「秘蔵のくに」と呼ばれた伊賀の道を、国防のために険しいままにしておいたといいます。
初瀬街道
天香久山・耳成山・畆傍山の大和三山をあとに,初瀬街道は桜井を出発する。やがて伊賀の山々を越え,伊勢へ向かう参詣の道である。初瀬で街道をそれ,初瀬渓流沿いの道を上って行くと,長谷寺への道である。長谷寺は西国33カ所第8番札所にあたる。初瀬は門前町であったが,伊勢参りが盛んになるにつれ,宿場町としても賑わった。街道は初瀬から榛原を経て室生口に至る。ここで街道を右にそれると「女人高野」の名で知られる室生寺がある。天平時代の可憐な五重塔や「室生寺様」とよばれる釈迦如来像など古美術の宝庫である。
伊賀街道
この道は、京、大和方面と伊勢神宮を結ぶ参宮道のひとつでした。江戸時代には、伊勢、伊賀二国の藩主となった藤堂高虎が二つの城下を往来する重要な官道となり、平松宿、平田宿などの宿場を中心に賑わったといいます。この地で生まれた俳聖松尾芭蕉もこの道を何度も通り、街道筋にはいくつもの句碑が建てられています。
初瀬街道
大和と伊勢を結ぶこの道は、天皇に代わって伊勢神宮の天照大神に仕えた斎王が都から伊勢へ赴いた道であったなど、その歴史は古代までさかのぼります。お伊勢参りや伊勢からの初瀬(長谷)詣が盛んになるにつれ、阿保宿や伊勢路宿などの宿場町が栄え、今なおその風情を残しています。