上野城跡
上野城跡は現在上野公園とされ、堅固さを誇った高石垣や内堀が当時の姿のまま残っている。園内は四季折々の景観と共に上野市観光の中心としてはもちろん市民の憩いの場となっている。
鍵屋ノ辻
荒木又右衛門で有名な日本三大仇討・伊賀越仇討の場。資料館がある。
名張藤堂家邸跡
大部分とり壊されたが当主の日常生活の場であった中奥部分が,残っている。
夏見廃寺跡
金堂の跡と石段が残りせん仏や古瓦が発掘された。
御墓山古墳
敢国神社の祭神大彦命の墳墓といわれる三重県最大の前方後円墳。全長約188mある。表面全体に葺き石が見られる。
百地砦跡
伊賀忍者の指導者を上忍といい,千賀地(服部)半蔵、百地丹波守三太夫、藤林長門守が有名であるが、百地氏の祖は百地丹波泰光といい、喰代の土豪で、ここに砦を設けた。名張市竜口には百地丹波正西の百地屋敷がある。
城之越遺跡
1600年前に造られた水源祭祀の場。国の名勝及び史跡を歴史公園として整備した。6世紀後半から始まるとされる庭園につながる造形と技術を示す遺構である。
廃補陀落寺町石
高倉神社から約800m上に、建長年間(約710年前)に、補陀落寺が建てられ、この門前から一町ごとに道しるべとして立てられた石が廃補陀落寺町石である。自然石の表に、梵字、寺からの距離、寄進者名などが彫られている。
伊賀国分寺跡
奈良時代の寺院跡、土塁や金堂跡,講堂跡を残す。又、「長者屋敷跡」と呼ばれ、広大な田地の田植えが終わらないので、夕日を招き返したという「日の丸長者」の伝説が残っている。
長楽山廃寺跡
名阪国道の南の山林内に方形の土壇と土塁を残す。伊賀国分寺跡から道路を隔てた東側。国分寺と国分尼寺のうちの尼寺跡と考えられる。
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