菓子屋横丁
時の鐘の北西,元町2丁目7番付近。このあたりは昭和初期には70軒余りの菓子屋が軒を連ねていたが現在では20軒ほどが営業している。せんべい・カルメ焼・あめ玉などの駄菓子が販売されており,懐かしい雰囲気が楽しめる。平成13年環境省主催の「かおり風景百選」に選定された。
埼玉県川越市元町2丁目
(2) 川越駅・本川越駅からバスで(小江戸巡回バス「菓子屋横丁」下車徒歩0分)
大宮花の丘農林公苑
花と自然があふれる広大な苑内は、花畑を一望できる「花の丘」や夏場の水遊びスポット「親水広場」など、見所豊富な4ゾーンで構成。春には菜の花やチューリップ、秋からが見頃のサルビアやコスモスなど、四季折々の景観が楽しめるのが魅力的。花の食品館では新鮮な野菜や季節の花を直売するほか軽食もOK!
五百羅漢
山門をくぐって右手、沙羅双樹の下にある。川越北田島の僧志誠の発願で1782(天明2)年から50年の歳月をかけて完成した538体。一つとして同じ姿はなく、内緒話をしたり、七輪で湯を沸かす羅漢像もあり、笑いを誘われる。また、深夜こっそりと羅漢さまの頭をなでると、一つだけ必ず温かいものがあり、それは亡くなった親の顔に似ているのだという言い伝えも残っている。
埼玉県川越市小仙波町1-20-1
(2) 東武東上線・JR川越線 川越駅から徒歩で
(3) 各線本川越駅・川越駅・川越市駅からバスで(※小江戸巡回バスで「喜多院」下車)
芥川龍之介の撰文碑
根金の稲荷神社には、全国で唯一の芥川龍之介による自撰自筆の碑文が刻まれた大きな石碑が残されています。この碑文は、龍之介と親交のあった蓮田出身の関口平太郎氏の善行をたたえたものです。
トトロの森1号地
東京都と埼玉県にまたがる狭山丘陵は、豊かな里山の自然が残っており、一般に「トトロの森」と呼ばれ親しまれている。この心和む風景を開発から守るため、市民の寄付で買いとられた1つめの土地が、このトトロの森1号地だ。周辺には、自然観察スポットやトトロの森3号地もあるので、ハイキングには最適。
旧坂東家住宅 見沼くらしっく館
1727年以降に行われた加田屋新田開発で大いに名をあげた商人・坂東家2代目四郎左右衛門尚政。その10代目・助次郎が1857年に建てたのがこの旧坂東家。1992年に行われた補修作業中、床下から発見された百両に相当する「一分銀」も展示されている。ギャラリーとしても利用できる厩も必見だ。
長勝院旗桜
目通り樹周り3.05メートル、高さ11.2メートル、推定樹齢400年以上のハタザクラ。花は大きく、一重咲きの花に雄しべの一部が花弁状に変わった旗弁(1〜2枚)を生ずるヤマザクラ(バラ科)の一種で、この種のハタザクラとしては、他に類がなく唯一の栽培品種である。平成10年11月に、従来の「長勝院の桜」から「チョウショウインハタザクラ」と名称を変えた。開花時の花付きは極めてにぎやかである。
妙音沢特別緑地保全地区
カタクリやイチリンソウなど、東京近郊では珍しい春植物が自生する貴重な緑地。
喜多院多宝塔
多宝塔は、寛永16年(1639)に、山門と日枝神社の間にあった古墳の上に建立された。その後、老朽化が進んだため、明治43年(1910)に慈恵堂と庫裏玄関との渡り廊下中央部分に移築された。ただし、移築に際し大幅に改造されていたので、昭和48年(1973)に現在地に移し解体修理を実施し復元した。総高13m、方三間の多宝塔で本瓦葺、上層は方形、上層は円形、その上に宝形造りの屋根がのっている。江戸時代初期の多宝塔の特徴が表れている。
埼玉県川越市小仙波町1-20-1
(2) 東武東上線・JR川越線 川越駅から徒歩で
(3) 各線本川越駅、川越駅、川越市駅からバスで(※小江戸巡回バスで「喜多院」下車)
慈恩寺玄奘塔
西遊記(孫悟空物語)で名高い玄奘三蔵法師の霊骨石塔です。13重で高さは約15mあり、慈恩寺が管理しています。三蔵法師の遺骨は、宋の時代に長安(現西安)から南京にもたらされた後、太平天国の乱で行方不明になりましたが、第2次大戦中に南京を占領していた日本軍が、偶然にも土木作業中に法師の頭骨を納めた石箱を発見(昭和17年)しました。頭骨は、当時の南京政府に還付され、昭和19年に南京玄武山に玄奘塔を建立し奉安されるとともに、日本へも分骨されたのです。日本へ渡った頭骨は、当初芝増上寺に安置されましたが、折しもその頃の東京は空襲の被害が広がり、一時埼玉県蕨市の三学院に移され、さらに三蔵法師の建立した大慈恩寺にちなんで命名された慈恩寺に疎開しました。第2次大戦後、日本の仏教界が正式な奉安の地を検討した際に、三蔵法師と縁の深い慈恩寺が奉安に最適の地とされ、昭和25年に13重の花崗岩の石組みによって玄奘塔が築かれました。
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