時の鐘
遷喬館の北東約300mに木造の鐘楼がある。1671(寛文11)年城主阿部正春が時刻を知らせるため造らせたが,火災で亀裂が生じたため,1720(享保5)年当時の城主永井直信が改鋳したもの。高さ182cm,直径76cm,重さ750kgの鐘には大判20枚が入っているといわれ,造られてから現在まで,維新の動乱期を除いて6時,正午,15時,18時に,澄んだ音色を響かせている。平成8年環境庁(現環境省)主催の「残したい日本の音風景百選」に選定された。
埼玉県川越市幸町15-2
(2) 川越駅・本川越駅からバスで(東武東上線・JR川越線川越駅、西武新宿線本川越駅より小江戸巡回バス(蔵の街下車)/1分)
(3) 東武東上線・JR川越線川越駅からバスで(小江戸名所めぐりバスで(一番街下車)/1分)
旧石川組製糸西洋館
石川組製糸の迎賓館として建てられた大正時代の洋風建物。臨時公開日があります。市のホームページをご覧ください。
旧高橋家住宅
江戸時代中期に建築された茅葺きの農家建築。周囲を土壁で囲んだ閉鎖的な造りで、内部に押板があるなど、古風な建築の特徴を残している。畑、雑木林といった周囲の環境も良好に残されている。
大沢家住宅
西武新宿本川越駅の北800m,一番街と呼ばれる通りには今も十数軒の蔵造が残る。そのなかで大沢家はもっとも古く,1792(寛政4)年に建てられたものである。2階建,切妻造,瓦葺,間口6間,奥行4間半,2階の前面に土格子をつけている。外観は簡素だが,内部には数寄屋風の座敷や箱階段などのすぐれた意匠が見られる。明治の川越大火に耐えた強固な構造を真似て,明治時代には蔵造の家が数多く建てられた。
埼玉県川越市元町1-15-2
(2) 川越駅・本川越駅からバスで(東武東上線・JR川越線川越駅、西武新宿線本川越駅より小江戸巡回バス(蔵の街下車)/1分)
(3) 東武東上線・JR川越線川越駅からバスで(小江戸名所めぐりバス(札の辻下車)/1分)
川口市立文化財センター分館 旧田中家住宅
地場産業である味噌醸造や材木商を営んできた田中家の旧邸宅で、大正時代の本格的な洋風住宅、和館、文庫蔵、表門及び煉瓦塀が国の登録有形文化財となっている。他に茶室と池泉回遊式の日本庭園がある。
埼玉県川口市末広1-7-2
(2) JR川口駅東口からバスで(11〜13番系統)
小野家住宅
市の西部、入間市との市境近くにある。入母屋造,茅葺の農家で、3間取広間型。背面下屋を室内に取り込んでいる点に特長がある。正面14.9m、側面6.5m。部材の仕上げは粗く、強く曲がった柱や梁もあるなど素朴な造りで、18世紀中ごろの建築と推定される。
柳瀬荘
昭和5年、電力会社の創設に尽力した松永安左衛門(茶号 耳庵)の別荘として、東久留米市の村野家の家屋を移築したもの。江戸末期の建造物で天保期の民家の特色が残っている。国の重要文化財の黄林閣をはじめ、斜月亭(書院)、久木庵(茶室)、長屋門などがある。
時の鐘
岩槻城の鐘楼で、寛文11年(1671)当時の岩槻城主阿部正春が渋江口に設置しました。以来、享保5年(1720)の改鋳を経て、現在に至るまで、美しい音色を響かせて、今も午前6時と午後6時には、市民に時を知らせています。
遷喬館
寛政11年(1799)に、岩槻藩士の儒学者児玉南柯(こだまなんか)が創設した私塾であり、文化年間に藩校となりました。 儒学を中心に講義が行われ、藩士の子弟たちがここで学びました。建物は武家屋敷を利用したものであり、木造平屋建て、茅葺屋根の構造です。 現在では江戸時代に児玉南柯が創設した当時の姿に復元され、吹きさらしの玄関や漆喰の壁、生徒の入口を設けています。埼玉県内に現存する唯一の藩校でもあります。「遷喬館」の名称について詩経(中国最古の詩集)の「出自幽谷 遷干喬木」に由来しています。学問を欲し友を求めることを鳥が明るい場所を求めて暗い谷から高い木に飛び移ることにたとえた内容で、ここで学ぶ物に高い志を持つことを促したものです。
旧西川家潜り門
武州一揆の刀の傷跡が扉や柱に見られることや伝承から建築年代は,慶応2年(1866)と推定されている棟門。欅造りで,棟高3.03m,総長5.454m。江戸時代,組頭役を務めた西川家の中庭(本町2丁目)から移築。
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