道元禅師の歌碑
永平寺開山道元禅師が建長5年8月5日病気により京都に入られんと永平寺を出発し送ってきた弟子(徹通)との訣別の碑でもある。碑には弟子に与えたという歌が刻まれている。こうして別れた禅師は若狭経由で京都に入り8月25日、54才で没して再びこの峠を通ることはなかった。現在の碑は天保13年(1842)永平寺57世禹隣禅師の主唱にて若越諸寺の協議によって建立されたものである。両脇には永平寺二代弧雲、三代徹通禅師の碑であり昭和初年代に建てられて以来、毎年秋になると永平寺の僧が供養墓参を絶やさない。
言奈地蔵
ご本尊は石仏で弘法大師の作といわれ、今も多くの参拝者が訪れている。むかし権六という馬子が旅人をを殺した旅人の息子である、そばで地蔵が見ていたので《地蔵いうなよ》と言った。《地蔵は言わぬが我言うなよ》といわれ山をおりた。後年、この峠で若い旅人に出会い、昔を語ったところ、その若者がかつて殺した旅人の息子であると知り罪業の深さを悟り、自ら進んで仇を討たれたと言う。
高倉峠
福井県と岐阜県の県境。山間部を越える峠。
下長谷の洞窟
「建武四年 後醍醐天皇の皇太子恒良をかくし奉る所、蕉木浦は此なり」と名勝記に記されている下長谷の洞窟。甲楽城にあるこの洞窟は、延元二年 金ケ崎城落城の際に気比神宮の神官が春宮恒良親王をかくまった場所だといわれています。
蝉丸の墓
蝉丸の終えんの地
越前有情の碑
五木ひろしの歌碑(高さ15m)と公園
延命地蔵
近隣の市町村からの参拝者が多い。毎年7月23日,24日が祭礼。