大川
毛馬水門から中之島東端まで、大阪市都島区と北区の境をなして南流する大川。桜の名所として、都島区側の左岸の「桜之宮公園」、対岸の北区天満橋にある「造幣局」が有名。また、造幣局の少し北あたりでは「大阪アメニティパーク(OAP)」としてショッピングモールと帝国ホテルが、桜之宮公園の南には大阪城公園が広がっている。大阪城の北で寝屋川を入れたあと大川は向きを西に変え天満橋をくぐって大阪市中心部へ流れ、中之島で堂島川と土佐堀川に分かれ、再び合流して安治川となる。天満橋のたもと、いまの松坂屋前には「八軒家」という船着場があり、伏見と大阪を往来する三十石船で賑わった。毎年7月25日には、ここで天神祭の船渡御が行われるほか、毎日水上バスの定期便が運航され、橋やビル街の間を縫って進む、水の都ならではのおもしろさを実感できる。
堂島川
大川(旧淀川)は中之島と出合うところ(天神橋付近)で二手に分かれ、そのうち中之島の北側を流れる方を堂島川と呼ぶ。江戸時代の元禄元年(1688)、海運・治水に功労のあった三重県出身の豪商・河村瑞賢(かわむらずいけん)によって改修された。その際、その盛り土で周囲の湿地帯であったところに「新地」がつくられて、そこに民家が建ち並ぶようになり、また大江、渡辺、田蓑、玉江、船津の五つの橋が架けられ、航行の便が開けた。また、大江橋と渡辺橋の間に米市場ができ、商業の中心地として堂島の発展を支えることとなった。毎年7月24日の朝には、天神祭の始まりをつげる「鉾流神事」が行われる川として、市民には馴染みが深い。対岸には大阪市中央公会堂や、大阪府中之島図書館、日本銀行大阪支店などが立ち並び、レトロビルの散策におすすめのエリアだ。
土佐堀川
大川(旧淀川)は中之島と出合うところ(天神橋付近)で二手に分かれ、そのうち中之島の南側を流れる方を土佐堀川と呼ぶ。付近は豊臣時代、土佐商人の群居した土佐座の地といわれ、河川名の「土佐堀川」もそこからきたと伝えられている。北側の堂島川が「裏川」に対し、南側の土佐堀川は「表川」とも呼ばれ、江戸時代には岸沿いに各藩の蔵屋敷が建ち並び、諸国の物産を積んだ船の出入りで賑わい、大坂商人の活躍の場だったそうだ。現在、大阪城港と淀屋橋港を結ぶ水上バス「アクアライナー」が行き交うほか、筑前橋上流から中之島公園にかけて散策道や親水テラスが整備されており、オフィス街で働く人々のやすらぎの場として親しまれている。