元寇の戦跡(少弐公園)
園内には,少弐公園として整備され,展望絶景の地で小弐資時公を祀った神社がある。
黒崎砲台跡
猿岩の展望所から1分。昭和3年8月から6年かけて完成。口径41cmのカノン砲二門の砲台で、砲身の長さ18.83m、弾丸の重さ1トン、最大射程距離35km、同じ規模の砲台が韓国プサンと対馬にあったが、ここは一発も実弾を発射することがなかった。巨大な地下要塞があるが、猿岩展望所の売店裏の山道を少し登ると、砲台の巨大な穴を地上からも見ることができる。
勝本城跡
豊臣秀吉が朝鮮出陣にさいし,名護屋城と結ぶ兵站基地の一つとして,松浦鎮信に築かせたものである。城は港湾を眼下にして,対馬を望める位置にあり,現在,一帯は公園になっている。頂にこの地で没した俳人曽良の「春にわれ乞食やめても筑紫かな」の句碑がある。別名を武末城ともいう。
鬼の岩屋
壱岐では、横穴式石室古墳。長崎県内で初めて発見された装飾古墳である。紛糾の封土は取り除かれている石室だけが露出している長さ4.11mで複室構造の横穴式石室。入口にもっとも近い側壁に、シンプルな線彫による舟、人物、大型海棲動物が描かれており、捕鯨の様子を描いたものだと言われている。
原の辻遺跡
国指定史跡で弥生時代の竪穴式住居跡や貝塚などたくさんの遺物が出土し,注目を集めている。
対馬藩お船江跡
御用船を繋留した船着場跡。
金石城跡
宗氏が館を桟原に移すまで,この地を本城とした。享禄元年(1528),それまでの池ノ館が兵火で炎上したので,盛賢が築いたものだ。21代の義真が寛文9年に櫓を築いてから,金石城と呼ぶようになった。金石川に沿った城壁と大手門付近の石垣に,対馬流の石垣技術が偲ばれ,現在櫓門が再建されている。国の史跡。◎宗義智(1568-1615)江戸初期の対馬国の領主。義調の養子。対馬守。秀吉の頃より朝鮮との外交にあたり,江戸時代には,幕府と朝鮮との条約締結に尽力した。◎雨森芳洲(1668-1755)対馬藩の儒者。近江(滋賀県)伊香郡生まれ。著者『治要管見』で朝鮮修交の重要性と人材養成を説き,王号問題で同門の新井白石を論難した。著述は40書。
特別史跡金田城跡
大陸からの侵略に備え,浅茅湾の南岸にそびえる城山に金田城を築き防衛の拠点とした。白村江の戦い(663年)で敗れた天智天皇が、国の守りの最前線として築かせた日本最古の山城跡の1つ。
大将軍山古墳
対馬の代表的古式古墳。漢鏡,水晶玉などが出土。