錦帯橋
延宝元年(1673)第三代岩国藩主吉川広嘉により創建されたもので、現在の橋は四代目にあたります。錦川の清流に架かる五連のアーチを描いた木橋で、長さ193.3m幅5m。木と木の組合せによって支えられ、巻金とかすがいが使われています。
香川家長屋門
岩国藩の家老であった香川家の住宅の表門で、1693年に香川正恒が建立。瓦に1個づつ家紋が刻してある長屋門の他に、通用門、平時門などがあり、身分、用件によって使いわけられていました。
山口県岩国市横山2丁目
(2) JR山陽本線岩国駅からバスで(錦帯橋方面行き)
旧目加田家住宅
岩国吉川藩士であった目加田家の武家住宅です。
山口県岩国市横山2丁目
昌明館附属屋及び門
七代藩主吉川経倫の隠居所として建造され、明治には用達所がおかれるまで、吉川家の岩国の拠点として使用。長屋二棟と門が残存しています。
山口県岩国市横山2丁目7-3
山田家本屋
山田家本屋は、慶長の頃小早川隆景に仕え、後に湯野の領主竪田元慶の家臣となった山田氏の住宅で、古式を伝える在郷武家のものです。桁行15.76m、梁間7.85m、建坪 263.76平方mという大きな平屋建で、屋根は茅葺であったが、現在は鉄板葺きとしています。
錦雲閣
旧藩時代の城郭の一部を移築したもの。絵馬堂。
周防源氏武田氏屋敷跡
室町戦国時代の末期 初代武田小三郎母八重女と安芸国より欽明路に移る。
国森家住宅
江戸中期に建てられた商家で、白壁の町並みのほぼ中央にあります。全体を土蔵造りとし、一本引き土戸を建てるなど、火災に対する細かい配慮がなされています。豪商の家造りの典型といえます。
国木田独歩旧宅
国木田独歩は、20歳前後の多感な時期を柳井で過しました。この頃の出来事や思い出をもとに、『少年の悲哀』『置土産』などの作品に著されています。この旧宅は、独歩一家が、明治26年頃に住んでいた家を移築し、保存したものです。独歩が愛用した「月琴」や、国木田独歩の胸像等が展示されています。
妙円寺/清狂草堂/僧月性の遺跡
妙円寺に生まれた僧月性は、遊学中に海防の必要を感じ、帰郷後、私塾「清狂草堂」をひらいて子弟の教育につとめました。松下村塾と並び討幕に活躍した多くの門人を生んでいます。妙円寺の境内には、月性遺品展示館、僧月性墓、僧月性顕彰碑など、月性を偲ぶ史跡があります。15名以上の団体で1週間前までに予約されれば月性ボランティアガイドがご案内します。(月性遺品展示館入館は入館料が必要になります)
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