船町
16世紀中ごろ、大垣城が創建された。また、明治維新に至るまでの約230年間は、大垣は美濃随一の城下町として繁栄した。美濃路の宿場町が置かれ、水門川の水運を利用する河港が開かれて交通上の要所として発展した。船町は、水門川の河港のあったところで、「奥の細道」むすびの地として知られる。また、貨物や旅客の輸送のために利用され、船問屋、倉庫、商店、旅篭が建ち並び、にぎわったという。航行の安全を祈る住吉燈台・伊勢神宮奉納灯が今も残る。
垂井町
垂井町は、古くからの交通の要地で、中山道の宿駅が置かれましたが、中山道と東海道を結ぶ美濃路の分岐点でもありました。また、垂井宿は寛政年間(1800ころ)、旅篭45軒を数えましたが、今は亀丸屋(西村家)がただ1軒、200年の伝統を守り、営業を続けています。玄関に面して東側に枡形があり、2階南側には鉄砲窓が昔の姿で残っています。金岩家(現在の扇屋)は、代々問屋・庄屋などの要職を務めた旧家。油屋(現在の小林家)は文化年間に建築された商家で、明治初期からは小林家が旅館亀屋を営んでいます。また、本龍寺の前に高礼場がありました。現存する山門は、明治初め西町の金岩脇本陣門を移設したもので、境内には、芭蕉ゆかりの時雨庵があります。また、豊臣秀吉の軍師竹中半兵衛重治で有名な竹中氏の陣屋跡があり、木造白壁塗りの櫓門、石垣、濠などが現存しています。
赤坂町
赤坂宿の宿場の範囲は杭瀬川から兜塚(お使者場)までで、中心部は、ちょうど赤坂商店街と重なったため、町並みの大部分は近代化されている。しかし、心して歩けば、中山道宿場町の面影を随所に発見することができよう。見どころは、宿場当時の建築といわれる脇本陣。その他、お茶屋屋敷跡、本陣公園、赤坂港跡などがある。
寺町界隈
本通り(旧美濃路)から一歩入ったところに古い寺い寺院が6ケ寺集っている。各寺院には、寺宝文化財が多い。
揖斐川
江戸時代に尾張徳川家や大垣藩、旗本諸家の所領地が複雑に分布した農村地帯であり、中心をなす旧三輪村は北方山間部への入口にあたり、物資交易の要地として街道に形成された街村である。町家は、全体に建ちが高く、明治から大正にかけてのものが大半を占める。ただ商店街のため町並み景観は大きく変わった。