長浜屋
長浜屋は江戸時代旅籠屋として栄えました。天保2年(1831)13代将軍徳川家定に嫁ぐ有姫ら総勢3200名が垂井宿に宿泊したおり、お輿担ぎ23名が泊まったという記録があります。その後鉄道の開通により旅人が減少したため、酒屋となり、平成10年頃まで営業していました。現在は地元も有志の方により垂井宿の休憩所として土日祝日に開店しています。
各務の舞台(村国座)
村国神社の境内にあり、年に一度の祭礼で氏子が奉納する地芝居を上演するために建設された。客席が屋内にある劇場形式の舞台で、本格的な廻り舞台と広い花道、奈落をもち、江戸時代末期から明治初期の劇場建築の典型である数少ない農村舞台である。昭和49年に国の重要有形民俗文化財に指定された。
旧宮川家
農家建築として代表的なかやぶき家屋で、明治中期以降の岐南町周辺地域の生活様式を示す。
高田西町山車
猩々やまとして,高田まつりに豪華けんらんたる姿を見せる。なお、西町の猩々やまの彫刻は岐阜県の重要指定文化財に指定されております。
桑原家住宅
正面29m,側面13.8m,2階建の主屋と倉3棟,長屋門・塀などがよく保存される。国の重要文化財に指定されている。
旗本高木家陣屋跡
交代寄合の格式を許された高木三家の一。石垣、正門等が残る。
脇本陣の門
墨俣宿における脇本陣は徳川初期よりはじまり、代々安藤家(一時加野家)がつとめた。明治末期、この脇本陣にあった門を寺町本正寺山門として移築し今に残る。
水屋
古くから低湿地帯では生命財産を守るため、洪水の時の避難場所として、母屋とは別に更に一段高く盛土や石垣を積み上げその上に建てた家や蔵。
牧村家住宅
江戸時代における美濃地方の典型的農家住宅。
円鏡寺楼門
入母屋造、檜皮葺の代表的な和様建築。中に金剛力士像が勇壮に立ち建物ともに国指定重要文化財。
岐阜県本巣郡北方町北方1345番地の1
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