岐阜城
鎌倉時代初期の創建という。室町時代は稲葉山城と称し、美濃守護土岐氏の家老斎藤氏の居城。天文年間に斎藤道三が入城して修築、井ノ口城とも称した。義龍・龍興とつづくが永禄10年(1567)織田信長が攻略、尾張小牧山城から本拠を移し岐阜城と称す。天正4年(1576)信長は安土に移り、以後、信忠・信孝、池田元助・輝政、豊臣秀勝、織田秀信とつづき、慶長6年(1601)廃城となる。現在は米蔵跡・太鼓櫓跡・二ノ丸門跡の石垣が残り、また現在の天守閣は昭和31年の再建で、内部は郷土資料館、最上階は展望館となっている。◎斎藤道三(?-1556)美濃に生れ、長井新九郎と名乗ったと伝える。長じて主家の斎藤家を乗っとり、その後、土岐守護家を奪ったが、子義龍と戦って討死。◎織田信長(1534-82)尾張に生れたが、永禄10年岐阜城主となり、その後安土に移る。井の口を岐阜と改称した。本能寺の変に討死。
岐阜県岐阜市金華山天守閣18
大垣城
天下分け目の関ヶ原合戦のおり、西軍・石田三成の本拠地となる。関ヶ原の戦後、石川、松平氏などを経て、寛永12年(1635)戸田氏鉄が入城し、以後戸田家11代の長きにわたり善政がしかれた。現在の天守閣は昭和34年に再建されたもので、城を囲んで公園、遊園地等があり、城下町大垣のシンボルとして憩いの場となっている。◎戸田氏鉄(1576-1655)三河に生れ、大垣十万石藩主となる。治山治水、新田開発、文教、産業振興等に全力を注ぎ、大垣の基礎を築いた。
竹中氏陣屋跡
戦国時代の智略が飛び交う中で、豊臣秀吉の名軍師、竹中半兵衛重治とその一族の活躍には目を見張るものがありました。拠点であった陣屋跡には白壁の正門、がっしりとした石垣が残っており、一族の隆盛を物語っています.