中山道
旧五街道のひとつ。随所にその名残をとどめている。
美濃路
東海道宮宿と中山道垂井宿追分を結ぶ脇街道で美濃地方を横断し,江戸と上方の文化の交流に役立った。
美濃路
関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康の凱旋した「吉例街道」現在も一里塚等が残る。
中山道鵜沼宿町屋館
江戸時代の中山道鵜沼宿のビジターセンター的な位置づけ。登録有形文化財として景観重要建造物に指定。宿場町の町屋をよく示している。
追分
中山道と東海道を結ぶ美濃路の分岐点で、宝永6年(1709)地元の奥山氏が建てた石の道標「右東海道大垣みち、左木曾街道たにぐみみち」が残っています。
美濃路(墨俣宿)
慶長7年、東海道と中山道を結ぶ脇街道として整備された。美濃路には六つの宿駅が設けられ、墨俣宿もそのひとつ。宿駅には、本陣・脇本陣・問屋がおかれ、琉球使節や朝鮮通信使の通行をはじめ、多くの人馬の往来で賑わった。
鎌倉街道
鎌倉時代に鎌倉と京都を結ぶ街道として整備され、東西交通の重要な幹線であった。歌人として有名な西行法師の歌や阿陀仏の十六夜日記など多くの和歌や紀行文に墨俣が記されている。義経の後をおってきた浄瑠璃姫を諭した猿が現れたといわれる洞穴、猿岩。姫が休んだとされる浄瑠璃姫腰掛岩、聖徳太子が命名したといわれる小渡井の枡井戸などが残る。