美保関
古くは日韓交通の要地であった美保関は,西廻航路が開かれてからは鉄・木綿・米の移出港として江戸初期から中期にかけて大いに賑わった。しかし文化・文政の頃から船の「泊まり」の役割を他の港にとられ始め,その頃から港町から一漁港としての町場に変化していった。
塩見繩手
小泉八雲旧居はじめ武家屋敷風の家が堀に面して軒を接し,松江で最も城下町らしいたたずまいを残す。現在は大型バスも交差する舗装道路だが,古くは駕篭か大八車がせいぜいの細い道であった。堀ぞいに残る巨松の並木は当時のもの。塩見縄手の名称はこのほぼ中央に塩見小兵衛の屋敷があったことに由来する。
松江城下町
慶長12年(1607)堀尾吉晴が松江に城を構えることにして以来松江が城下町として登場した。それまでは普通の農村・漁村であった松江も次第に城下町として着実に成長し,寛政元年(1789)ごろには人口3万1000人になった。現在,県庁周辺の堀割りはかなり埋め立てられたが,城山の周囲及び京橋川は昔の面影をよく残している。
宍道
宍道の町は大社への参詣者の宿場として古くから賑わっていたところ。旧出雲街道沿いの宍道の町並みは,旧八雲本陣の木幡家を中心にして,かつての宿場の面影を色濃く伝えている。