神蹟黄泉比良坂石碑
黄泉の国(あの世)とこの世の境とされ,古代出雲神話の中で,イザナギ(伊邪那岐)命が,先立たれた妻イザナミ(伊邪那美)命を慕って黄泉国を訪ねて行かれるその入口が黄泉比良坂であると伝えられ,古事記ではこの地を出雲国の伊賦夜坂であるとしており,「神蹟黄泉比良坂伊賦夜伝説地」と刻まれた石碑が建っています。
菅谷高殿
中国地方一帯では、古くから「たたら製鉄」が盛んに行われ、中でも奥出雲地方で産出される鉄は、質、量とも群をぬいていたが、その中心的存在が「田部家」であった。菅谷高殿は田部家が経営していた数あるたたらの高殿のなかで、名実ともにその中心をなしていたもので、最盛期の文政年間(1818〜1829)には、年間200トンもの鉄を生産していた。高殿様式の現存するものとしては全国唯一で、昭和42年に国の重要文化財に指定された。
富田城跡
富田の地を最初に城地としたのは平景清という。尼子氏が守護代としてこの地を領して以来,勢力を拡大した。経久のとき,守護代の地位を一時追われたが,経久は奇襲によって城を奪い返し,以来,戦国大名として一代の間に飛躍的に版図を拡大した。尼子氏滅亡後は毛利氏の有に帰したが,関ケ原合戦後,堀尾氏入封によって,富田城は廃城となった。平成5年より整備に着手し通路や石垣及び建物等を復原している。◎尼子経久(1458-1541)出雲国守護代清定の子。戦国大名。一時富田城を追われたが劇的な奇襲戦で奪回。因幡以西の山陰諸国を攻略。山陽にも入って11州の大守と呼ばれ尼子家の全盛期をつくる。◎山中鹿介(1546-1578))広瀬町生れ。落日の尼子家家臣として富田落城にあう。諸国を巡り,尼子再興に執念を燃やし不屈の挑戦。望みを達せず34歳で命を終えた悲運の武将。
加茂岩倉遺跡
平成8年に39個の銅鐸が発見され、日本最多の大量出土として全国に知られた弥生時代の遺跡。銅鐸に刻まれた例のない文様や絵画が特徴。銅鐸は平成20年7月に国宝に指定され、古代出雲歴史博物館に展示されている。
安部谷古墳
意宇川の西斜面を利用した横穴式古墳。5か所に数穴ずつあり,見学できるものが5穴ある。
出雲国分寺跡附古道
古代出雲の政治文化の中心であった意宇平野の北東部の丘陵地でほぼ完全な遺構で発掘された。遺品は安国寺にある。
金崎古墳群
島根大学の裏手にあり,方墳と前方後方墳11基ほどの古墳群。現在は5基が残っている。
真山城跡
松江市北の真山(標高256m)にある山城跡。山頂からの景観が見事。毛利氏の白鹿城攻めのとき,毛利氏の向城として吉川元春が陣を敷いた。
山代二子塚
丘陵上にある前方後方墳。全長90mで島根県最大の古墳。
山代方墳
平野にある方墳。周囲は条里制の遺構地域。
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