新保八幡宮
正法寺
小布勢神社
明徳5年(1394)西三川の地頭本間山城という人によって建立された12ケ村の産土神である。9月第2日曜日が例祭である。
佐渡国分寺
天平13年(741)聖武天皇の詔で建立された佐渡最古の寺。雷火、火災で焼失、現在のものは延宝7年(1674)賢教によって再建された。明治39年に国宝に指定された木造薬師如来座像が収蔵庫にあります。
智光坊
大同3年(808)空山を開山とする真言宗の寺である。境内金毘羅堂は天保4年(1833)8月の建立で、精巧な建築美を現している。佐渡七福神の1つ「倉崎恵比寿天」
加茂神社
天仁2年(1109)年加茂次郎義綱が配流された時建てられ、元禄7年に再建された加茂神社には、広い境内の正面に大きな拝殿があり、その奥にある本殿は島内では珍しいサヤかけになっています。神社裏手には裏手には独立型の能舞台があり、大膳神社(竹田)・牛尾神社(潟上)・若一王子神社(中原)と共に「国仲四所の御能場」といわれた所で、毎年4月15日の例祭には奉納能が舞われたといわれていますが、現在では鬼太鼓のみとなっています。
宇賀神社
宇賀神社は両津地区の両尾(もろお)の海岸線にそびえ立つ、円すい型の小山の上に鎮座する神社です。昔は山と言わず「宇賀塚」と呼ばれ、頂上からのながめは素晴らしい。祭神は倉稲魂命(うかのみたま)で、この神は食物の神で、稲荷大名神とのこと。また一説には、大国御魂神(おおくにみたま)の子の豊受姫(とようけひめ)と同体とも言われています。日本書紀には「倉稲魂、此れを宇介能美施麿と云」と記されています。しかし、赤い鳥居はなく、仏説により白蛇を祀ったもので、弁財天の宝冠中にある白蛇を宇賀神とすることが全国的にも広まっています。そのため、福を授ける神として、商売人の信仰があつく、3月25日の例祭や、年末年始の二年参り、月次祭(つきなみさい)には多くの参拝者でにぎわう。
湖鏡庵(財喜坊狢)
文安2年潟上の地頭本間源太左エ門源高秀の創建で、寺堂に後花園天皇の宸筆「管公」の一軸があります。湖鏡庵へと続く竹林中の石段を登っていると途中で財喜坊狢(ざいきぼうむじな)を祀った社があり、信仰を集めています。高台にある境内は加茂湖の眺望でき、加茂湖八景の一つとされています。湖鏡庵(こきょうあん)へと続く石段を登っていると途中で財喜坊狢(ざいきぼうむじな)を祀った社があります。高台にある境内からは加茂湖を見渡せます。また、佐渡四国八十八ヶ所霊場72番札所ともされています。
(2) 両津港から車で(新潟交通佐渡バス南線で20分 潟上坂上停留所 下車500m)
多聞寺の毘沙門堂
多門寺にある毘沙門堂は、聖徳太子が柳の霊木を得て毘沙門天を2体彫刻したうちの1体が奉られているとされるお堂です。ムカデを祀っていることから、商売繁盛、学業成就などを願い多くの人が参拝に訪れます。境内には地域の水不足を救ったとされる百足清水や百足杉があります。縁日の2月3日には本尊の毘沙門天がご開帳されます。また、多聞天の敷地はとても広く、子どもたちの遠足コースによく利用されています。毘沙門公園の鳥居から展望台までは徒歩約20分等健康祈願コースが設定されています。
称光寺(佐渡七福神 渡海弁財天)
開基は遊行ニ祖他阿上人で、開山は遊行七祖他阿上人託阿大和尚が貞和5年(1349)本堂を建立したことによる。「三崎道場」と呼ばれ、佐渡時宗最初の根本道場として知られ、佐渡四国7番札所となっています。文和4年(1335)遊行八祖渡船上人は直江津より三崎宿根木は渡海中、悪風荒波に遭ったので日頃持仏として信仰していた弁財天御宝前に「大弁財天女品」を誦して祈念したところ、霊験あらわれ無事南浜へ着岸する事ができたことから、南浜の巌上に「渡海弁財天」を安置し水難除けの守護神、技芸上達の副神として古くから信仰を集めています。
(2) 小木港から車で
(3) 赤泊港から車で
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