都道府県別 観光地なび

更新日:2011/11/07

佐渡

佐渡

文化施設 / 歴史的建造物

妙宣寺の五重塔

妙宣寺は、日蓮(にちれん)が佐渡に流されていた時に、身の回りの世話をした日得(にっとく)が、鎌倉時代後期に自宅を寺として開いたのが始まりです。五重塔は、江戸時代後期に建てられました。相川町の大工の棟梁(とうりょう)が親子2代、30年がかりで完成させました。大きさは、高さ24.11m、1辺3.6mで、柱には杉が使われ、その他、松やけやきが使われています。県内でただ一つの五重塔で、大変貴重な建物です。

所在地
新潟県佐渡市阿仏坊29
交通アクセス
両津港から車で(最寄りのバス停「竹田橋」(南線)から、徒歩約15分)

大膳神社能舞台

この能舞台は、弘化3年(1846)に再建されたもので、本舞台(寄棟造、茅葺き)、後座(あとざ)、地謡(じうたい)座、橋掛り、裏通路などがあります。かつて宝生流の太夫家から選ばれた国仲四所の御能場の一つ。そのためその昔には格式の高い舞台として、能以外には使わせなかったと言われています。残された記録から、能が演じられたのは文政6年(1823)以降であることが分かっております。真野地区には佐渡鷺流狂言(さぎりゅうきょうげん)も伝えられていて、能とセットで上演されます。

所在地
新潟県佐渡市竹田561番地
交通アクセス
両津港から車で(またはバスで35分下車後徒歩で15分)

牛尾神社能舞台

牛尾神社は「天王さん」ともいわれ、延暦11年(792)創建の歴史ある社です。牛尾山とよばれる加茂湖を眼前にしたうっそうとした杉木立の丘陵地に、みごとな彫刻のある社殿と共に、能舞台等の付属建物がいくつかあり格式、重厚さを備えています。佐渡には独立の能舞台が約30棟ありますが、牛尾神社能舞台はその中でも本格的能舞台といわれる三棟の内の一つです。また能楽の中心となった国仲四ヶ所御能場の一つでもあります。他の三ヶ所は、佐和田地区の若一王子神社、真野地区の大勝神社、畑野地区の加茂神社。現在の能舞台は明治32年の火事で社殿と共に焼失後、明治34年に再建されました。明治18年に建てられたという、両津の本間家能舞台を手本にしたと言われますが、松や竹の絵もあり、寸法が全てにわたって十分にとられ、特に床高、開口高、橋掛り長さ等は、佐渡の能舞台では最大です。舞台は社殿に向って左側に、参道に正面を向けて配置され、広い境内の中にゆったりと十分な見所を備えています。屋根は瓦葺正面入母屋造りで、柱8寸、かぶら懸魚(げぎょ)の妻飾り、また背面は寄棟造り、二タ軒本繁垂木の本格的な工法をとっています。舞台の三方と舞台と後座との境上の計4本の梁に唐草模様の彫刻がほどこしてあり、天井は棒線天井に鐘穴があります。切戸口は大きく、高さ3尺7寸、巾2尺3寸で、切戸口より出ると屋根のないぬれ縁があって、橋掛りにある入口まで連なっており、橋掛りは5間で複式です。地謡座には擬宝珠(ぎぼし)、勾欄(こうらん)を用いています。鏡の間(楽屋)は神社の社務所を兼ねていますが、広さにして20畳以上を確保でき、ゆったりとした控えの場を備えています。昭和47年6月13日、牛尾神社創建1180年の記念大祭に20数年ぶりに能が奉納され、その後毎年6月12日には、天王祭の宵宮奉納能(薪能)が演じられています。薪能としての演能の歴史も、佐渡では古いものの一つです。

所在地
新潟県佐渡市新穂潟上2529番地
交通アクセス
両津港から車で(最寄りのバス停「能楽の里前」(南線)から、徒歩約5分)

椎崎諏訪神社能舞台

この能舞台は、椎崎温泉の高台にあり、加茂湖を見おろす諏訪神社の広い境内にあります。現在の施設は明治35年(1902)に建てられたと伝えられています。能舞台は、本舞台(切妻造り、瓦葺き)、後座(あとざ)、地謡座(じうたいざ)、橋掛リ(はしがかり)、鏡の間などで構成されています。なお、本舞台には鐘穴(「道成寺」の時に使う鐘を吊すための穴)があります。毎年、8月を除く5月から10月の第1土曜日に、薪能(たきぎのう)が行われています。

所在地
新潟県佐渡市原黒724
交通アクセス
両津港から車で

草苅神社能舞台

草苅神社では文久3年(1863)から能が演じられていたことが記録から分かります。建物は本舞台(入母屋造、茅葺き)、後座(あとざ)、復元された橋掛り、増設された地謡(じうたい)座などで構成されています。現在は、毎年6月15日の祭礼の時に定例能(薪能)が行われています。【草苅神社】古くは草刈村と言われた字天沢にあり、江戸中期には八王子牛頭天王、羽茂祇園社などと言われ、この郷の農業の神とされています。応永3年(1396)の墨書のある獅子頭があり、地頭寄進で大神楽つぶろさしの最初の獅子だとも言われています。

所在地
新潟県佐渡市羽茂本郷1699
交通アクセス
小木港から車で(最寄りのバス停「羽茂本郷」(小木線)から、徒歩約10分)

北條家住宅

北條家の祖先は丹波国の出身で、寛文3年(1663)直訴の罪により佐渡へ流され、元禄8年(1695)赦免後当地に住みついたと伝えられています。以来、代々道益を名乗り、医を業としてきました。住宅の建築年代については、資料がなく明らかではありませんが、手法からみると18世紀後半と考えられます。桁行16.6m、梁間10.1m、寄棟造、茅葺で、南正面と西側面に桟瓦葺の庇(ひさし)を設けています。現荏の庇は後設されたものですが、正面の庇はもとからあったと思われます。構造は梁間(はりま)4間に、牛梁(うしばり)を挟んで二重梁を架け、梁上には真束と小屋束を立てて貫で固め、叉首を組みます。柱は総体に細く、側柱と内部柱の差が少ないです。柱間寸法は畳長さ5.85尺を基準として決めているようです。平面は桁行9間のうち、西寄り2間半を土間とし、後方には床板を張っています。床上部は喰違い4間取りの上手に2室を加えた形式で、桁行6間半のうち土間寄り3間が「おいえ」と「なんど」、つぎ2間が「なかのま」「ざしき」、一番上手が6畳室と縁付の4畳室となります。座敷には床、仏壇を設け、天井は「なんど」を根太(ねだ)天井とするほかは、各室とも竿縁(さおぶち)天井を張っています。この住宅は新潟県下でも越後の民家に比べて木柄が細く、座敷回りには洗練された感があります。佐渡地方を代表する遺例であり、保存は極めてよい状態です。

所在地
新潟県佐渡市泉乙33
交通アクセス
両津港からバスで(下車後徒歩で30分)

長谷寺の五智堂

多宝塔とも呼ばれ、寺の縁起によると観音堂に安置してあった弥陀・釈迦・大日・薬師・宝生の五智仏を正保年間に五智堂を造って移し更に延享2年(1745)に多宝塔を建立してここに安置しました。塔の内陣は円形平面を持つ大塔形式を踏襲し、全国的にも数少ない貴重な例です。技法は手がこんでおりトキョウの形式や木割りが古風である反面、外陣天井には放射状の矢羽根文を大胆に用いているのが特色です。平成16年の五智堂の屋根修理に伴い、それぞれ「貞享4(1687)年」と「延享2(1745)年」の銘がある2枚の棟札が発見されました。この2枚の棟札は同物件の沿革を示す資料として重要であることから、追加指定されました。【長谷寺】大和の長谷寺を模したといわれる大同2年(807)開基の古刹。 世阿弥が松ヶ崎から峠を越えて長谷寺にいたったことを「金島書」に書いてます。また、日蓮上人もこの寺に立ち寄ったに違いないと考えられています。参道の至る所にあるボタンの古木が美しく、5月上旬から一斉に咲き誇り、辺りを彩ります。ここには平安期の観音3尊(国重文)や五智堂(県有形)・三本杉・高野マキ(県天然)などがあり、歴史の古さを物語るものでいっぱいです。

所在地
新潟県佐渡市長谷13
交通アクセス
両津港から、車で約25分●最寄りのバス停「畑野十字路」(南線)から、徒歩約30分

二宮神社能舞台

二宮神社は、順徳天皇の第二皇女忠子姫を祭神とする神社で、社殿の南東にある能舞台は独立式のもので、舞台は鏡の間や楽屋を兼ねる社務所(しゃむしょ)から橋掛りで連結されています。現存する能舞台がいつ頃建てられたものかはわかりませんが、文久3年(1863)の「佐渡定能場届」(本間家文書)には、二宮神社の名前が見えていますので、幕末から明治初年にはすでに能舞台が存在していたと考えられます。舞台は寄棟造(よせむねつく)り、茅葺(かやぶ)きで、西側に間口5.5m×奥行4.6mの舞台と東側に1.8mの後座とし、床の高さは84cmです。天井は後座まで棹縁(さおふち)天井で、本舞台と後座を区間的な分節はせず、鐘穴も存在しません。また、鏡板に松の絵も描かれていません。この北面につく橋掛りは、瓦葺きの建物で、長さ7.3m、幅1.8mです。昭和30年代と昭和50年代に演能が行われ、平成15年から薪能が行われるようになり、使われなくなった他の舞台に比らべ、比較的使用されることが多いようです。【二宮神社】順徳上皇の18歳で亡くなられた第二皇女忠子女王を祀った神社。玉島姫命と申しあげ、初めは守屋勇四郎春虎が遺髪を霊として祀りましたが、後の御深草帝の時に二宮大明神とされ、社殿が築かれました。境内には女王を葬った宮内庁墓所や能舞台があります。

所在地
新潟県佐渡市二宮232番地2
交通アクセス
(1) 両津港から、車で約50分。最寄りのバス停「佐渡金山」(七浦海岸線(循環))から、徒歩約0分。
(2) 両津港から車で(最寄りのバス停「東大通」(本線)から、徒歩約15分)

春日神社能舞台(赤泊)

佐渡の能といえば、世阿弥と思われますが、実際は、大久保長安をはじめとする江戸時代の歴代佐渡奉行が庇護を与えたため、村々でも盛んになったと考えられています。以前はどんな小さな村でも能舞台があり、村人が能を楽しんだものですが、今では数少なくなってしまいました。春日神社の能舞台は、赤泊地区山田及び腰細の有志が協議し明治初期に建造されました。その構造も優れていて、南佐渡でもまれにみる舞台です。主要木材は佐渡では赤泊地区特産の榧(かや)の木である点も珍しいです。この敷地は赤泊地区山田の菊池作太郎氏が全盛期に寄附したもので、木材、資金等も愛好家有志により、寄附建造されたものです。なお、新穂潟上の本間能太夫家にある文久元年の文書によると赤泊地区の神事定能場としては、徳和大倉、赤泊若宮、河茂五社、外山大平の四ヶ所となっています。木造、銅板葺き、橋ががり組立式正面7.3m(4間)奥行5.45m(3間)

所在地
新潟県佐渡市三川(腰細)
交通アクセス
赤泊港から車で

菊地家住宅

菊地家は、江戸時代はこの村の名主を勤め1km離れたところまで「よその土地を通らずにいける」というような広大な敷地を所有する地主でした。主屋は南に面し、西側に納屋、南西に蔵と便所が並び、東側は水田となっています。主屋の前には池を配してあります。山を背にした建物の配置には山村民家らしい落ち着いた趣が感じられます。間取りは佐渡の農家の一般的な形で「オイエ」(居間)を中心にして、下手に台所(表側に土間)上手に座敷(表側は小座敷)居間の奥に納戸を置きます。文政8年(1825)建築の棟札があり建築年代のわかる民家としては佐渡でも古く島内の民家の代表的なものです。また改造が少なく当初の姿をよく保っており、佐渡民家の一つの基準となる家と考えられます。

所在地
新潟県佐渡市浜河内81
交通アクセス
両津港から車で(小木港から車で30分)

■ Next ■

新潟県 TOP

人気ランキング
都道府県別 観光地なび 【佐渡のホテル】

このページのTOPへ HOMEへ戻る

| 北海道 | 青森県 | 岩手県 | 宮城県 | 秋田県 | 山形県 | 福島県 | 栃木県 | 群馬県 | 茨城県 | 埼玉県 | 千葉県 | 東京都 | 神奈川県 | 山梨県 | 長野県 | 新潟県 | 富山県 | 石川県 | 福井県 | 静岡県 | 岐阜県 | 愛知県 | 三重県 | 滋賀県 | 京都府 | 大阪府 | 兵庫県 | 奈良県 | 和歌山県 | 鳥取県 | 島根県 | 岡山県 | 広島県 | 山口県 | 徳島県 | 香川県 | 愛媛県 | 高知県 | 福岡県 | 佐賀県 | 長崎県 | 熊本県 | 大分県 | 宮崎県 | 鹿児島県 | 沖縄県 |

Copyright (C) 都道府県別 観光地なび All Rights Reserved.