堺市立文化館 与謝野晶子文芸館 アルフォンス・ミュシャ館
堺市立文化館の3〜4階にある与謝野晶子文芸館。彼女を求めて堺を訪れる人や、初めて彼女にふれる人に興味を持ってもらおうと直筆の掛け軸や色紙、短冊、歌集などを展示している。また、根強いファンが多いアルフォンス・ミュシャ。初期のパリ時代から故国チェコで制作したものまで、生涯にわたり展示。
堺市役所
仁徳天皇陵の大きさを一目で確かめてみたいと思ったら、堺市役所の21階にある展望ロビーがおすすめ。全長486m、周囲2718mの世界最大を誇る仁徳天皇陵は、地上80mから見てもその大きさに驚いてしまうほど。眼下には、緑豊かな大仙公園や駅前のツインタワー、堺市内まですべて一望する事ができる。
旧鉄砲鍛冶屋敷
堺での鉄砲の製造は、天文12年(1543)頃にポルトガルから種子島に伝わった鉄砲の製造技術を、橘屋又三郎が持ち帰ったことが始まりという。以来、自由都市・堺は鉄砲づくりの町として全国に名を馳せるとともに、戦国大名たちと密接な関係を築く。市内に残る資料には明暦3年(1657)、全国から4535挺の注文があったとされ、最盛期の戦国時代には年間1万挺以上を製造していたとみられる。北旅篭町にある旧鉄砲鍛冶屋敷(内部は非公開)は、当時の堺の代表的な鉄砲鍛冶屋・井上関右衛門の屋敷。内部には、火縄銃や懐銃、大筒や大ふいご、御用札などが保存されている。阪堺電気軌道「高須神社駅」から歩いて約10分。近くには、鍛冶職人の守り神であった神高須神社や、鉄砲鍛冶射的場跡の石碑などもある。
千利休屋敷跡
阪堺電気軌道宿院駅を降りて徒歩約1分、細い通りを入ったところに、わび茶を大成した千利休が生まれた屋敷跡と、茶の湯に常用していたといわれる椿井がある。千利休は大永2年(1522)、堺の裕福な町衆魚屋「ととや」の長男として生まれた。17歳の時、北向道陳(きたむきどうじん:1504-1562)に茶湯を学び、後に武野紹鴎(たけのじょうおう:1502-1555)に師事。同じく堺の豪商・今井宗久の推薦で、織田信長や秀吉の茶頭として仕えた。北野の大茶会を取り仕切るなど、天下一の茶匠として権勢を振るったが、天正19年(1591)2月28日、秀吉の怒りをかって自刃した。享年70歳だった。現在の茶道千家の始祖で、今も茶聖として敬われている。
コスタモール二色の浜
リーズナブルにショッピングができる30店舗が揃ったアウトレットモール、スーパーやホームセンターがあるデイリーゾーン、飲食・アミューズメントゾーンと3つのゾーンからなるビーチサイドのショッピングモール。夏はビーチでの遊びとショッピングを一緒に楽しめるのが魅力的(夏場のみ駐車場は有料)。
ワーナー・マイカル・シネマズ
ワーナーマイカルの看板が目立つ建物内に8つのスクリーンがある、マルチプレックススタイルの映画館。全館すべて立見なしの定員入替制を行っていて、落ち着いて鑑賞できるスペースが備わっている。シネマストアでは、パンフレットのほか、ルーニーテューンズのグッズや映画関連グッズも揃っている。
りんくうタウン
「世界の玄関」として、多くの人が行き交う「関西国際空港」に隣接するりんくうタウン。空港の開港に伴い「住・食・学・買・遊」を併せ持つ生活創造都市として、1994年に開発された。総面積は320ha、泉佐野市、田尻町、泉南市の2市1町にまたがっている。りんくうタウン内には、人気のホテルやレストランが入居する「りんくうタワーゲートビル」、人気のブランド品がリーズナブルなプライスで買える「りんくうプレミアム・アウトレット」、食品や衣料品、生活用品など160を越える店が入居する「りんくう泉南ショッピングセンター」のほか、散策におすすめの「りんくう公園」や、「サザンビーチ」「マーブルビーチ」などの海水浴場もある。
龍女神像
1903年(明治36年)に大浜公園が、内国勧業博覧会の堺会場となった際に、大浜水族館前に設置されもので、それ以降「乙姫さん」の愛称で市民に親しまれてきたが、1974年(昭和49年)の水族館閉鎖とともに撤去されてしまった。現在の像は、堺市制110年を記念して、2000年(平成12年)に復元された。
大阪府環境農林水産総合研究所 水産研究部 水産技術センター
南海電車多奈川駅からバスで約5分。大阪湾に関連する調査研究を行なう施設で、その内容は大きく「海を見守る」「魚を増やす」「魚を調べる」の3つに分けられる。「海を見守る」ための海洋観測では、毎月の大阪湾の海水分析をはじめ、赤潮プランクトンの調査、魚の卵や稚仔(ちし)の採集など、また「魚を増やす」ために、種苗に標識をつけて放流する標識放流や増殖場についての調査、毎月の漁獲量や魚の大きさ、魚の成長の様子や食性、移動の調査などに取り組んでいる。試験場1階展示コーナーには、大阪湾の潮の流れや、漁業、魚などを模型やパネルで紹介。申し出ればクロダイやオニオコゼ、ヒラメなどの種苗を生産している水槽(栽培漁業センター)も見学できる。
与謝野晶子生家跡
大阪で唯一残る路面電車・阪堺電気軌道の宿院駅から徒歩1分、大道筋沿いに歌集「みだれ髪」などで知られる女流歌人・与謝野晶子の生家跡の碑と歌碑がある。与謝野晶子は明治11年(1878)、堺の老舗菓子屋・駿河屋を営んでいた父・鳳宗七と母・津祢の三女として誕生した。17歳頃から在阪の文学会に入って歌を詠み始め、明治33年(1899)、与謝野寛(鉄幹)と出会い、結婚。上京する翌年までの23年間、ここ堺で過ごしていた。生家跡の石碑の隣には「海恋し潮の遠鳴り数えつつ少女となりし父母の家」と刻まれた歌碑も建てられている。堺市内には、与謝野晶子文芸館をはじめ、ゆかりの歌碑や像が多数点在し、与謝野晶子ファンが全国から訪れる。
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